髪型

髪型には無頓着なほうである。しかしながら、最近の髪型はそんな自分でもわかるほどまずいことになっている。私の頭は真ん中がへこんでいるのだが、面倒で切らずに放置していた髪のウェーブがたまたまそのへこみにマッチしてしまい、鳥の巣のようになっているのだ。先日は、今まであまりそういうことを言ってこなかった同期に「ちょっと……髪型がキモすぎる」とど直球で言われ狼狽してしまった。

そういうわけで、人生で初めてスタイリングフォームというものをつけてみた。もちろんいきなり本番に突っ込んだりはしない。私はそんなに馬鹿ではないからだ。休日を利用して、鏡の前でセットをしてみる。我ながらいい感じに決まった。

さて本番である。リハーサルに負けず劣らずなセッティングをし、意気揚々と大学に向かった。すがすがしい景色が広がっている。まるで私の髪のようだ。ところが学校で会った友人は何も言ってこない。じらしているなこいつめ。しかしどうしたことだろう、その日は何も言われなかった。

こんなことでくじける私ではない。翌日さらにさわやかさを強調したセットをして、得意満面で大学へ向かった。すると、出会った友人が早速声をかけてきた。

「どうしたの?疲れたサラリーマンみたいな髪になってるけど大丈夫?」

私は散髪屋に行く決心をした。

面接を受けたくない7つの理由

本日午後、院試の面接がある。しかしながら、私はその面接を非常に受けたくない。それは以下のような理由からである。

  • 猛烈に緊張する。
  • 緊張して頭が真っ白になるので、将来もしかしたらかかわるかもしれない先生に恥ずかしい姿を見せることになる。
  • 筆記の出来が悪くほぼ100%落ちるので受ける意味がない。
  • 志望理由にポエムを書いてしまった。
  • 教授陣が怖い。
  • 志望理由がポエムだ。
  • 志望理由がポエムだ。

 

そういえば今朝夢を見た。面接で質問に答えられず、教授にため息をつかれるというものだった。恐ろしい話だ。しかしよくよく考えてみると、あれは本当に夢だったのだろうか。確か昨日は別の面接を受けていたようなうっ頭が

院試

8月に入ってからずっと家にこもっている。実際、8月のうち外に出た日はたったの4日である。しかしこれは決して予定が無いからではない。院試があるからである。

院試勉強もそんなに悪いものではない。復習をしていると、当時見えなかったものが見えていることに気付く。そこから新しい発見もある。勉強に集中することで、彼女がいないという事実から目を背けることもできる。

なにより、冷房をかけているので快適である。院試勉強でこもっている人の特権である。しかしよくよく考えてみると、毎年夏と冬は快適な生活をしていた。予定がなかったからである。今夏も特に用事を断ったわけでもなかった。

あがり症

 

昔からあがり症で、事あるごとにあがってきた。最近だと、ゼミで質問をするたびに頭が真っ白になっている(これは学習するうえで問題なので早く慣れたい)。

さて、先日口頭試験があった。まあ当然頭が真っ白になるわけである。その場でわからなかったこと、できなかったことをざっと挙げてみると、

・エネルギーEの自由粒子波動関数

・その粒子の速度の出し方

・相手の言っている日本語

・自分は結婚できるのか

といったところである(仕方がないのでシュレディンガー方程式から出したりした。シュレディンガー方程式を覚えていたのは幸いであった)。そもそも全体的にもたもたとしていたし、これはもう駄目かもしれない。

ところで、実はこのブログは、あがり症の原因の一つであろう、人前で恥をかくのを極端に恐れることを克服するために始めたのである。だから恥ずかしい文章なのは当然である。

 

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コミュニケーション

先日耳の検査をしに行った。そこでスタッフの人に、ヘッドホンやなんやらのあるしっかりと防音が施された個室に通された。以下はその時の会話である。

スタッフの人「今までにこういう検査をしたことはありますか」

私「本格的なものはn……」

スタッフの人「そうですか、では……」(説明を始める)

お分かりいただけただろうか。本格的なものは無いです、と言い切る前に私の言いたいことを理解して話をスムーズに進めたのである。これがコミュニケーション能力か、と思った。学科のアスペの皆さんは見習ってもらいたい。

 

それに対して、以下は私と同期の会話である。

同期「君はいつもチェックシャツを着ているけど、チェックシャツを着なきゃいけないルールでもあるの?」

私「いや、ポケットがついてる服を着なきゃいけないから」

同期「は?アスペかよ」

これでも自分の中では筋が通っていた。私の持っているポケットのついている服はほとんどチェック柄だからである。しかしまあ確かに冷静に考えれば会話が成り立っていない。反省すべきところである。

しかし見方によってはこれも会話のショートカットになっていないだろうか。もし同期が、私の持っているポケット付の服はほぼチェックシャツということを類推できていれば、会話はよりスムーズに進んだのではないか。同期には反省してもらいたい。

やりたいこと2

前回何をどこまで書いたか忘れた(そして恥ずかしいので読み直したりはしない)が、ここで、1.興味のある事柄、2.好きなこと、3.人生を捧げるに足ると思うもの、を、階層を無視してとにかく並べてみよう。

 

1.興味のある事柄

世界の真理、具体的には、(時空の)ミクロな構造、現在の宇宙の構造、初期宇宙、これから(何百億年のスパンで)世界はどうなるのか、ブラックホール、宇宙ひもやモノポール、将棋は先後どちらの勝ちか、理想の彼女はいるのか。

観測問題。タイムトラベル。意識はどこから来るのか。人工知能

 

2.好きなこと

物理的要請から数学的な仮定を置き、そこから数学的に出てくる物理的に非自明で面白いものを知ること、例えば(聞いた話だが)ローレンツ不変性とかいろいろをひもに要請すると世界が10次元でなければならないとか。その他、数学の世界でいろいろ考察することによって生まれる新しい発見。

量子力学ではアドホックな仮定としていたスピンが相対論的に考えると勝手に出てくるような、そういうお話。

 

3.人生を捧げるに足ると思うもの

数学的に、厳密に、物事を解明すること。

 

ついでにやりたくないことを挙げると、煩雑な計算。

 

書いていてはっきりしたが、どうも自分は(少なくとも人生を捧げるという面において)厳密なことがやりたいようである。もちろん数学も、無矛盾性を証明できないとかもっとメタ的に記号論理学が厳密かどうかとか、そういう意味で厳密ではない。完全ではない。ただしまあそこら辺は僕からしてみればまあ十分に厳密である、と思う。

では、興味のある事柄の中で厳密にするとなるとどうだろうか。例えば宇宙論、特にインフレーション辺りは、(聞きかじった話では)ちょっと暗にしている仮定が多すぎるように見える。時空のミクロな構造はどうだろうか。それを調べられるのが弦理論である。弦理論で、数学を使っていろいろ考えたい。煩雑な計算は頑張る。その中で、面白い物理的結論が得られれば最高である。

 

まとめると、時空の構造を弦理論等を使って調べたいというところである。もうちょっと具体的に何を使いたいかというのは、まだわからないし、これからいろいろと(ちゃんと)勉強していくうえでだんだんわかっていくのではないかと思うし、めぐりあわせのようなところもあるのではないかと思っている。また、それゆえ、特にこの先生の下につきたいというのは、今はまだない。院試志望先はどうしよう。

やりたいこと

時間が無い。

院試の出願までの時間である。2週間である。信じられない。

 

気が付いたのは、五月祭が無事に終わり、一息つけるなという心境で行った院試ガイダンスでである。メンタルブレイクだ。さらにガイダンスに来ていたほかの人や院生の方の話を聞いて、この時期には皆かなりやりたいことを絞っているということを知り愕然とした。自分はというと、はっきりとやりたいことはまだ全然見つかっていないのである。つらい。

 

ここからは、自分が物理学科に進んだ経緯を書いていく。そうすることで、したいことが少しでもわかればと思うからである。

そもそも、自分は数学者になるつもりであった。小学校と中学校の卒業文集か何かにはそう書いてあるはずだ。しかしながら、高校に入ってからだんだん意欲を失っていってしまった。今思えばあほである。数学の理論というのは最初はよくわからないが、わかってしまえば非常に面白いということには物理学科に入ってから気づいた。もっと早くに気付くべきであった(まあ正確にはもっと色々な事情があるのだが)。それでまあもう数学者になるという夢は薄れたわけだが、しかしなぜ数学が好きであるかというと、それは(仮定を認めれば)完全に正しい創造物だからである。「これらの仮定からこういうことが出てくる」が絶対に正しい創造物、と言ってもいい。どうも私という人間はこういう完全なもの、絶対的的なものが好きらしい。だから、人生をかけてやることとしては、実験物理ではなく理論物理、ということになる。さらに言えば、現象論でなく基礎論である。

物理との出会いは、宇宙だったように思う。「漫画で知ろう天文学」という本である。地球の外に膨大な未知の世界が広がっている、という事実は、私を非常に興奮させた。恒星の一生に思いを馳せ、ブラックホールに中二し、宇宙の大きさに畏怖の念を抱き、またそのダイナミズムに魅了された。次にであったのは量子論であっただろうか。日常に実はまったく意味不明な非日常が潜むという事実に、これに摂りつかれない人はいるのだろうか、という感覚を持った。相対論的な世界観、時間が遅れ空間が曲がる、という驚愕の事実にも大変な衝撃を受けた。

しかしこれらは中学生の時からの話であって、再度いうがこのときは数学者志望である。ではどこで物理学者志望に切り替わったのか。それは、これはかなりはっきりとしているが、東進の苑田と駒場量子論の清水のせいである。そこで、物理学というのは、数学的に、言い換えれば公理的に、つまり「絶対的なもの」として、記述されているというものであった。これは嘘である。少なくとも先端の理論について、現時点では。この当たり前の事実に気付いたのは理物に入ってからしばらくたってからで、詐欺じゃないかと思った。しかしまあ仕方ない。ちょっとまとめると、物理を志したのは、主要な項として、「数学で」自然を記述し、また「数学」をもちいて自然の基本方程式を見つける、というアクティビティーに非常に憧れたからである。今だからわかるが、残念なことにこれは物理学の一つの側面でしかない。しかし、一生をかけるならやはりこういうことの研究でなければならないだろう。二次の項としては、やはり非日常の世界を知りたい、というところだ。であるから、私の興味は一般に(大きさなりなんなりの)スケールのlogの絶対値に比例している。もっと言えばそのスケールはやはり大きさである。要は大きいもの(宇宙)と小さいもの(素粒子)をしりたい(これは大事な問題である。書いてて思ったが、やはり宇宙論と素論の両方をできるところがいいのではないか)。この二次の項があったので、一次の項は軽く詐欺だったがそれでも物理を続けようということになったのである(それじゃあ数学は三次以下かといわれるとあれだが、一つ言えるのはもう一回人生があれば次は数学者を目指すということである)。

それでまあ現も宇宙論(相対論含む)と素論に興味があるわけだが、くわえて量子情報などもある。疲れたのでここまでにするが、続くかもしれないし続かないかもしれない。